自称イスラム国の構成員から命を奪われた日本人、お二人に追悼の意を表します。
現状をかんがえてみたいと手に取った小林よしのり「新戦争論」。私含め平和ボケ、日本人にとっては、とたんに浮上したように思える、この「戦争」について考えてみたい。中東はどうしてあーなったのか?ブッシュが開戦宣言したイラク戦争からこっちの10数年、仕事と子育てで、中東のニュースはまったく頭に入っていないというのが正直なところ。自分の不勉強を恥じる「え、こんなコトになっとったの!?」
イスラム圏のこの混乱は遡ると第一次大戦後、欧米列強が定規で引いた、あの不自然な国境線に行き着く。アフリカと中東の地図をみると違和感をおぼえる。砂漠地帯に直線で領土が示されている。これ、欧米が好きなようにぶんどり合ったあとだったんだ。
イラクのフセイン大統領は独裁だったが、もともと国家意識なんてなかった多部族の共生する地域にむりやり国家という枠をはめ、それで中東はどうにか秩序を保っていた。無茶苦茶な虐殺のある恐怖政治だったようだけど、フセインはホッチキスだったと。そのホッチキスをアメリカが取り外した。2001年の9.11からイラク攻撃、約5000人の米兵が命を落とし、65万人の現地の死者が出た。
「ローンサバイバー」という米兵4人とタリバンとの死闘を描いたリアルな映画を観たが、たしかに一人米兵が死ぬとその100倍の敵陣の死者が出る、そんな感覚の映画だった。
今回感じたのは必要悪ともいえる、ホッチキスのような存在。フセインが中東をまとめるホッチキスだった。それがなくなって、紙が空を舞うようにバラバラになった中東。
地域づくりを考える上で、このホッチキスをどう捉えるか?そんなことが頭のなかで大きな疑問としてぐるぐる回っている。